Ads by Google
-- / -- / -- ( -- ) 新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
熟年バンド結成か?
2009 / 01 / 26 ( Mon ) 私の住む埼玉県羽生市には、30年前にレコードを出していたプロ歌手がいる。最近その方たちと知り合いになることができた。この方たちは「あかてん」というグループ名で当時はけっこう注目されていたとのこと。特に「あかてん」の前身である「がむがむ」というグループの時は、アリスが前座に出ていたというからすごい。このメンバーの一人の方の弟さんは現役ドラマーでスターダストレビューのメンバーである。
さて私も音楽は大好きである。聴くのも好きだがやはり自分で弾き語る方が良い。 私が人前でギターの弾き語りをしたのは、小学校4年生くらいの時であった。 裏のお姉さんがギターを弾いているのを見て、「うわーっ、すごい!」と思ったのがきっかけで、すぐ親にギターを買ってもらい、すぐ弾き始めた。 そして持前のずうずうしさで、数ヶ月後にはクラス皆の前で弾き語りをしていた。 それから私の音楽人生は始まる。 中学でバンドを組んだが、パートは鼓笛隊に入ったのがきっかけではじめたドラム。 高校ではブラスバンドに入りクラリネットをはじめたが、性に合わずすぐ退部。 大学でまたバンドを結成し、ドラムを担当するが、根っから人づきあいが下手で、すぐ脱退。 結局自分でギターを弾きながら作詞作曲もした。結構身内には受けたようだ。 でも音楽で生きていくような気概もチャレンジ精神もなく、普通のサラリーマンになった。(つづく) テーマ:お気に入り&好きな音楽 - ジャンル:音楽 |
53歳の無謀な行政書士独立日記
2008 / 12 / 24 ( Wed ) 30年近くサラリーマン生活をし、最後は役員まで経験したが、ふと気づくと営業以外これといってスキルを身につけていなかったことに愕然とする。
だから53歳にもなったら、ほとんどの男性諸氏はこのまま会社にしがみつき、這うようにして出社し、金曜の夜が生きてて一番幸せな時、日曜の夜が一番最悪な時を過ごし続けているのだろう。 月曜の朝に自殺者が多いのが立証しているのではないだろうか。 私も月曜の朝の電車は本当に死にたくなるほどつらかった。 なんで自分はこんな思いをして会社に行かなくてはならないのだろうか。他にやれること、生きるすべはないのだろうか、と常に考えていた。 でもいまさら転職しても今の給与(報酬)を保証してくれる会社なんてあるわけがない。 このころ私は人材紹介業務にもタッチしており、30歳を過ぎるととたんに転職先が限られてくることがわかっていた。 これが40歳以上になるともうほとんど企業から相手にされない。 そしたら50歳以上なんて化石みたいなものだ。 しかし、そうわかっていてもつらいものはつらい。 どう考えを切り替えようとしても、自分を奮い立たせようとしてもつらいものはつらい。 自分の老後のため、妻のため、子供たちのため必死でがんばらなくては、皆が路頭に迷う。 でもつらいものはつらい。なぜか? なにが一番つらいのか、考えてみた。 通勤時間なのか、人間関係なのか、仕事そのものなのか。 これは独立してわかったことだが、人間関係だ。 仕事がつらいのは、仕事そのものの良し悪しではない。 人間関係が良好なら、仕事も楽しい。仕事自体がきつくても楽しい。 しかし、人間関係が最悪だと仕事も最悪である。 これが企業社会で生きていくということだ。 おれは一人でも大丈夫だ。一匹狼で企業でも立派にやっていける。 他のだれにも負けない実力がある。という自信家もいるだろう。 しかし、そういう人間が何年会社でもつのだろうか。 私は人を蹴落とし、自分のことだけを最優先にいくら実績をあげたとしても長続きはしないし、むしろ後でしっぺ返しが必ず来ると思う。 企業はチームだ。チームワークがうまく機能するかどうかで大きく結果に影響すると思う。 その中でどう自分の能力を発揮していくか、発揮しきれるかだ。 当然上司にもよるだろう。同僚、仲間にもよるだろう。 でも会社である以上、組織は自分で選べない、左右できない。 結果与えられた人間関係の中でやっていくしかない。 これが会社という組織で生きていく宿命である。 この組織というやつがいやなら、つらくてやっていけないなら、そう独立するしかないのである。 |
53才の無謀な行政書士開業日記
2008 / 12 / 23 ( Tue ) 私も月曜の朝の電車は本当に死にたくなるほどつらかった。
なんで自分はこんな思いをして会社に行かなくてはならないのだろうか。他にやれること、生きるすべはないのだろうか、と常に考えていた。 でもいまさら転職しても今の給与(報酬)を保証してくれる会社なんてあるわけがない。 このころ私は人材紹介業務にもタッチしており、30歳を過ぎるととたんに転職先が限られてくることがわかっていた。 これが40歳以上になるともうほとんど企業から相手にされない。 そしたら50歳以上なんて化石みたいなものだ。 しかし、そうわかっていてもつらいものはつらい。 どう考えを切り替えようとしても、自分を奮い立たせようとしてもつらいものはつらい。 自分の老後のため、妻のため、子供たちのため必死でがんばらなくては、皆が路頭に迷う。 でもつらいものはつらい。なぜか? なにが一番つらいのか、考えてみた。 通勤時間なのか、人間関係なのか、仕事そのものなのか。 これは独立してわかったことだが、人間関係だ。 仕事がつらいのは、仕事そのものの良し悪しではない。 人間関係が良好なら、仕事も楽しい。仕事自体がきつくても楽しい。 しかし、人間関係が最悪だと仕事も最悪である。 これが企業社会で生きていくということだ。 おれは一人でも大丈夫だ。一匹狼で企業でも立派にやっていける。 他のだれにも負けない実力がある。という自信家もいるだろう。 しかし、そういう人間が何年会社でもつのだろうか。 私は人を蹴落とし、自分のことだけを最優先にいくら実績をあげたとしても長続きはしないし、むしろ後でしっぺ返しが必ず来ると思う。 企業はチームだ。チームワークがうまく機能するかどうかで大きく結果に影響すると思う。 その中でどう自分の能力を発揮していくか、発揮しきれるかだ。 当然上司にもよるだろう。同僚、仲間にもよるだろう。 でも会社である以上、組織は自分で選べない、左右できない。 結果与えられた人間関係の中でやっていくしかない。 これが会社という組織で生きていく宿命である。 この組織というやつがいやなら、つらくてやっていけないなら、そう独立するしかないのである。 |
53歳の行政書士独立日記
2008 / 12 / 22 ( Mon ) さて勢いで買ってしまったのはトヨタのアルファードハイブリッドとプリウス。
今にして思えばこの原油高の時勢にまさに先見の明あり。 しかし、二台もハイブリッドを買ったトヨタカローラの営業にはいいカモだったんだろうね。 その後貧困の数か月を味わうことになろうとは考えなかったのだろうか? いや考えた。でもさきほど言ったように、「もらえなかったかもしれない退職金」だったのだ。 なぜって、企業の役員が退任するときは退職金ではなく、退職慰労金といって、制度としては無くてもよい。 もちろん一般労働者の退職金も企業によってまちまちだが、この役員の退職慰労金というのは社長の一言で出す、出さないが決まってしまうといっても過言ではない。 去年退任した役員には出したが、今年からは中止!といとも簡単に決められてしまう。「あんたが気に入らないから、退職慰労金は今年からゼロゼにした!」といわれても文句は言えない。 実はそんな雰囲気だったこの時の社長を半分脅し気味にして、なんとか退職慰労金を手にした。だから「もらえなかったかもしれないお金だ!」と自分で勝手に解釈し、ハイブリッド車二台の大判ぶるまいをトヨタカローラにしてしまった。当時のトヨタの営業マンと店長はボーナスよかっただろうね。 というわけで、退職金のほとんどは車二台に生まれ変わった。 ところがこの自動車という代物はキャッシュで買ってしまえば済むというものでない。 ガソリン代はもちろん、毎年やってくる自動車税、任意保険の支払。 はじめ三年、二度目から二年の車検という、本当に必要なのか否かわからない制度。 これだけでも年間85万円位かかる。 そしてとてもきれい好きな私は週に一度は二台とも洗車する。 はたから見ればとても車好きな御亭主。しかし、単に汚い車にしたくないだけ。 53歳の脆弱な体にはとても堪える。 30年近くサラリーマン生活をし、最後は役員まで経験したが、ふと気づくと営業以外これといってスキルを身につけていなかったことに愕然とする。 だから53歳にもなったら、ほとんどの男性諸氏はこのまま会社にしがみつき、這うようにして出社し、金曜の夜が生きてて一番幸せな時、日曜の夜が一番最悪な時を過ごし続けているのだろう。 月曜の朝に自殺者が多いのが立証しているのではないだろうか。(続く) |
53歳の無謀な独立物語(行政書士)
2008 / 12 / 21 ( Sun ) 2008年10月、世の中は原油高による世界的な資源高とアメリカのサブプライムローン破たんに端を発した株安による世界恐慌状態。リーマンブラザーズの経営破たん、金融安定化法案の不成立でアメリカの株は1日で500ドル以上暴落する日が続いている。日本、イギリスはもちろん中国、香港そして新興国の株式市場まで大幅な下落。日本の株式市場もついに日経平均が4年半ぶりに一時1万円を割ってしまうという事態になった。当然企業業績の悪化も必至でまたまたリストラの嵐がやってくる!会社に残れても給料の大幅ダウンは免れない。そうなれば家計もとことん切り詰めなくてはならない。
さてこのように世の中が長い世界不況の入り口にさしかかった時に、53歳の男が無謀にも独立、開業をした。 しかも行政書士という「法律家国家資格の中では一番食えない資格」と裏に表に囁かれる士業で。 そして同じ市内に20人近い同業の先輩先生方がいらっしゃる中、誰一人独立した事務所をもたず自宅を事務所と兼用で業務をおこなっているという状態の士業で、この男は事務所まで開設してしまったのである。 実はすでにこの男、長年勤めた人材派遣会社が吸収合併されたため、役員を退任し、流れるまま営業代行で独立して一年半が経過していた。 もう組織というしがらみで上に下に気を使いながら毎日10時間以上会社にしばられるという生活にほとほと疲れてしまった。正直20年以上こういう生活を続けてきたが、おそらく心から充実していると感じた日は1日とてなかったような気がする。 さて時は遡り2007年2月1日、独立したこの日より無収入状態三か月、月収10万円が三か月続く。まだ高校生、中学生、そして小学校にあがったばかりの子供たちが三人もいるのにである。 特に夜寝るとき、3番目の息子の寝顔を見るたび、この子を飢え死にさせてはならない、という父親としての使命感と、明け方には「このまま低収入、あるいは無収入状態がずっと続いてしまうのか!!」という不安と情けなさでかっと目がされる日々が続いていく。 でも退職金が出たんだろうって?? そう、出た。でも車二台買って、八割方消えた。それくらいの金額だ。 義理の母親からはばかだ、あほだとののしられたようだ。(直接は聞いていない) 後先考えず、もしかしたらもらえなかった退職金なのだと考えたら、「えーい、使っちまえ!!って思ってしまった。後悔先に立たずだが、本来は自分の年齢と体力を考えればもうまともな仕事ができないのは自明の理なので、この虎の子のような退職金は家族のため、今後の生活のために大事に大事に使っていくべきなのだ。 なのに、なのにこの男は。 |




